0821.Berlin-3
2004年 08月 21日
Alexanderplatz+Fernsehturm ベルリン滞在中泊めてもらった先輩のホームステイ先はアレキサンダー広場からトラムで少しのところ.
どこへ行くのにも便利な立地でとても助かりました.
和解教会への道中.道に置かれていた数本の水道管の中を覗き込んでみると、周囲の音が遠くなり、涼しげな異様な空間に吸い込まれていった...
Berliner Mauer
街中に残るベルリンの壁の跡.壁があったところには家が建ち、雑木林になり、今では無意識のうちに通り抜ける事が出来るものの、この跡の持つ意味は非常に大きい.この壁を境界に明らかに2つの国家が置かれ、全く違う体制のもと人々は生活をしてきた.
和解教会 先輩に誘われて観に行ってきた教会.ベルリンの壁記念センターの向かい.僕ら以外、見学はいなかったけれど、なかなかいい教会です.いわゆる教会という感じではないのだけれど、空間として非常に落ち着く.建築が、ある建築家の思想によって造られる事はいかなる建築でも同様であるが、教会建築にしろ、寺社建築にしろ、既に宗教心を持ち合わせていないものにとっては宗教建築を純粋な建築空間として堪能できる.建築に機能が必要なのかという疑問はばかげているのかもしれないが、経済(施主)的な問題さえクリアできればなんら問題ではないと思うのだが...
美しい空間を体験するという行為は現在の日常生活の中で欠けているのではないだろうか.街の中にこういう空間があって、疲れたときにふと立ち寄る.中の椅子にでも腰掛けてぼーっと宙を眺める.そして、もういちど雑踏の中に出る.新鮮な気持ちで街へ戻っていけるのではないだろうか.宗教建築ではないけれど、心を休ませる、そんな空間が必要だと思う.
(ベルリンの壁記念センター)
ベルリンの壁裏の墓地にて
Velodrom Dominique Perrault(1998)
2000年のオリンピック誘致に向けて市が行った計画.惜しくも2000年のオリンピックはシドニーで行われたのだけれど.
巨大な正方形プランの水泳用プールと円形プランのヴェロドーム(競輪用トラック)が盛土された敷地に埋め込まれ、屋根面が盛土された地表面と同じ高さになっている.
これらは巨大すぎてひと目で全体を確認できることはできない.そして、その巨大さから建築の用途を知らない人はおそらく異様に思うだろう.
この建築を見た体験として、(というのは内部には入ることはできなかったから(プールに関しては一般開放されているようだ))巨大な建築が自分の眼下に広がるという光景に圧倒された.
Baumschulenweg Crematorium Axel Schultes+Charlotte Frank設計(1998)
バウムシューレンヴィク・クレマトリウム.クレマトリウムとは火葬場のこと.もともと西欧では100年ほど前まで死体を火葬することは禁止されていた.そういった歴史の中で、火葬という儀式に精神性を持ち込んだのがこの建築.
森を抽象化した列柱とその柱頭から差し込む光.そして、アトリウムの中央に造られた噴水と天井から吊るされた白い卵形の珠.
和解教会といい、今日は心落ち着く綺麗な空間に心が癒される.火葬場とは、亡くなった人と決別する悲しい場所ではない.どこか素晴らしい場所に送り出すところで、それは素晴らしく、名誉なことなんだと思う.
The Ribbon of Goverment Buildings
ドイツの永田町といったところだろうか.政治の中心地として開発途中にある地域.とにかくスケールアウトした建築が立ち並んでいる.しかし、建築は威厳を持ち、その威厳を示すかのように広がる芝生は結構いいオープンスペースになっているのではないだろうか.ヒットラー、そしてナチスを生んだドイツにとって、政治とそれを見守る市民の関係ほど大切なものは無いだろう.市民が集まれる場所を政治の中心地に置く.その姿勢はノーマン・フォスター設計の連邦議会議事堂の改修案にも見られる.
さてさて、日本の永田町に遊びに行く日本人がどれだけいるだろうか...
The New German Parliament, Reichstag
Norman Foster設計(1999)
第二次世界大戦中、ソビエトの侵攻によって破壊された、建築家パウル・ヴァロットによって1894年に建てられたヴィルヘルミニアンスタイルの議事堂を1992年のコンペによってノーマンフォスターが勝ち取って改修された建築.屋上に建てられたガラスのキューポラは高さ23.5m直径40mで、議場に自然光を取り込み、ガラスの内壁に沿って旋回する螺旋状のスロープが巨大キュポラを補強する.この螺旋スロープは議場を観覧するための場所でもある.ベルリン市内で1.2を争う観光スポットでもある.そんな素晴らしい建築の中で売られているコーラを床にぶちまけてしまったのだけれど...あの瞬間は非常に恥ずかしかった.炎天下の中、長蛇の列から内部に入り、やっとの想いでありつけたコーラを買ってすぐに床にぶちまける.ガラスのキューポラに音がよく響くこと.店員に謝り、心の中でフォスター卿に謝罪し、逃げるようにしてスロープを登っていったことはベルリンでの苦い思い出...
ちなみに、その後は建築写真を撮るのが楽しくて仕方ないほど、建築を堪能.
Holocaust monument Peter Eisenman設計(2006?)
フランク.O.ゲーリー設計のDG Bankの向かい.新たに建設されるホロコースト記念碑のための建築.2700本の列柱が立ち並ぶ中を人が歩き回るようだ.その建築途中を見る事が出来たのだけれど、柱が永遠に立ち並んでいるような異様な光景にただ愕然とするばかり.
この建築についての詳しい論評は→Click
German Historic Museum, Extension I.M.Pei設計(2003)
I.M.Peiは世界的に有名な日系アメリカ人建築家.増築部分は、石のファサードと唯一空けられた窓によるヴォリュームと、ガラスの螺旋階段、ガラス張りのエントランスホール.平面は三角形の平面を持ち、4層に異なる形をしたホールから構成されている.それによって、豊かな空間構成が演出されている.
が、残念ながら閉館後にたどり着き入る事が出来なかった...
NEO TOKYO 近年、海外では日本のアニメがかなりブームになっていることは日本でも話題になっている.実際海外に行くと本屋には必ず日本のコミックが置いてあるのを見かける.僕の観察では3×3EYESがかなり人気なようだ.で、このお店の前を通りかかって、店の名前にも驚いたのだけれど、そのNEO TOKYOはいわゆる戦隊モノとヴィジュアル系アーティスト(Gackt)と萌え系アニメで語られるのかと...なるほど、海外における日本とはこうなのかと今までの自分の理解を修正した.しかし、オタクというのは日本固有の文化であって、文化的に全く異なるヨーロッパにオタクは生まれないと森山嘉一郎は語っていたような...ベルリナー(?)も萌えるのか?かなり興味が沸く.ただし、ヴィジュアル系についてはパンクが多いベルリンでは受け入れられるのかもしれない.ただし、所謂ファッションとしてのパンクはロンドンであって、ベルリンでのパンクは生粋のパンキスト(?)=浮浪若者のことを指すようだ.『かつあげ』されそうで彼らは本当に恐い.
CLUB
ベルリン最後の晩は先輩と先輩が街中で偶然会った僕の同期の女の子と食事.ケバブを食らいビールを飲み、そしてクラブバーへ.ベルリン最高です!!
どこへ行くのにも便利な立地でとても助かりました.
Berliner Mauer
和解教会
美しい空間を体験するという行為は現在の日常生活の中で欠けているのではないだろうか.街の中にこういう空間があって、疲れたときにふと立ち寄る.中の椅子にでも腰掛けてぼーっと宙を眺める.そして、もういちど雑踏の中に出る.新鮮な気持ちで街へ戻っていけるのではないだろうか.宗教建築ではないけれど、心を休ませる、そんな空間が必要だと思う.
Velodrom
2000年のオリンピック誘致に向けて市が行った計画.惜しくも2000年のオリンピックはシドニーで行われたのだけれど.
巨大な正方形プランの水泳用プールと円形プランのヴェロドーム(競輪用トラック)が盛土された敷地に埋め込まれ、屋根面が盛土された地表面と同じ高さになっている.
これらは巨大すぎてひと目で全体を確認できることはできない.そして、その巨大さから建築の用途を知らない人はおそらく異様に思うだろう.
この建築を見た体験として、(というのは内部には入ることはできなかったから(プールに関しては一般開放されているようだ))巨大な建築が自分の眼下に広がるという光景に圧倒された.
Baumschulenweg Crematorium
バウムシューレンヴィク・クレマトリウム.クレマトリウムとは火葬場のこと.もともと西欧では100年ほど前まで死体を火葬することは禁止されていた.そういった歴史の中で、火葬という儀式に精神性を持ち込んだのがこの建築.
森を抽象化した列柱とその柱頭から差し込む光.そして、アトリウムの中央に造られた噴水と天井から吊るされた白い卵形の珠.
和解教会といい、今日は心落ち着く綺麗な空間に心が癒される.火葬場とは、亡くなった人と決別する悲しい場所ではない.どこか素晴らしい場所に送り出すところで、それは素晴らしく、名誉なことなんだと思う.
The Ribbon of Goverment Buildings
さてさて、日本の永田町に遊びに行く日本人がどれだけいるだろうか...
The New German Parliament, Reichstag
第二次世界大戦中、ソビエトの侵攻によって破壊された、建築家パウル・ヴァロットによって1894年に建てられたヴィルヘルミニアンスタイルの議事堂を1992年のコンペによってノーマンフォスターが勝ち取って改修された建築.屋上に建てられたガラスのキューポラは高さ23.5m直径40mで、議場に自然光を取り込み、ガラスの内壁に沿って旋回する螺旋状のスロープが巨大キュポラを補強する.この螺旋スロープは議場を観覧するための場所でもある.ベルリン市内で1.2を争う観光スポットでもある.そんな素晴らしい建築の中で売られているコーラを床にぶちまけてしまったのだけれど...あの瞬間は非常に恥ずかしかった.炎天下の中、長蛇の列から内部に入り、やっとの想いでありつけたコーラを買ってすぐに床にぶちまける.ガラスのキューポラに音がよく響くこと.店員に謝り、心の中でフォスター卿に謝罪し、逃げるようにしてスロープを登っていったことはベルリンでの苦い思い出...
ちなみに、その後は建築写真を撮るのが楽しくて仕方ないほど、建築を堪能.
Holocaust monument
フランク.O.ゲーリー設計のDG Bankの向かい.新たに建設されるホロコースト記念碑のための建築.2700本の列柱が立ち並ぶ中を人が歩き回るようだ.その建築途中を見る事が出来たのだけれど、柱が永遠に立ち並んでいるような異様な光景にただ愕然とするばかり.
この建築についての詳しい論評は→Click
German Historic Museum, Extension
I.M.Peiは世界的に有名な日系アメリカ人建築家.増築部分は、石のファサードと唯一空けられた窓によるヴォリュームと、ガラスの螺旋階段、ガラス張りのエントランスホール.平面は三角形の平面を持ち、4層に異なる形をしたホールから構成されている.それによって、豊かな空間構成が演出されている.
が、残念ながら閉館後にたどり着き入る事が出来なかった...
NEO TOKYO
CLUB
by dimensions11
| 2004-08-21 14:33
| Germany